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昭和36年創業 阿部長商店の歴史


以下は、2019年6月21日付「日刊水産経済新聞」
 “水産・観光・倉庫業振興に心血を注ぐ 阿部泰兒(阿部長商店会長)逝く”から視写したものです。

~生涯ぶれずに産業発展に取組む~
 阿部長商店の阿部泰兒会長は4月24日この世を去った。享年87歳。三陸の水産流通・加工業、観光事業、倉庫事業に全身全霊で取り組んだ人生だった。その大いなる功績が認められ、2004年の秋の叙勲で旭日双光章を受章する。その後、阿部長商店が東日本大震災で壊滅的な被害を受けた時は、被災した自社施設の復興に取り組む一方、発起人代表となり南気仙沼水産加工事業協組を設立するなど、組織づくりに尽力したことも忘れてはならない。晩年、阿部会長は視力を失った。しかし、三陸経済を牽引しようという熱意は決して失われなかった。

〇阿部会長の一生
 阿部泰兒氏は、宮城県本吉郡歌津村で父・阿部長四郎氏、母・はつみさんの四男として1933年9月18日に生まれる。
 父・長四郎氏は、地域の水産物の売買を手掛け、泰兒氏は物心がついた頃から、父の水産物の販売を手伝った。49年3月、中学校を卒業し学業を続けたかったが、長兄が戦死したこともあり断念、働き手を必要としていた家業を手伝う。
 泰兒青年は51年に鮮魚や海藻類、水産加工品の行商を始める。59年ごろからは、気仙沼魚市場で魚介類を仕入れ、県内はもちろん釜石、宮古、時には山形県に魚を運び販売した。
 61年4月、泰兒氏が28歳の時、気仙沼に水産会社を設立、鮮魚仲買業を創業する。父の薫陶を忘れないため、社名は父・長四郎氏の「長」の1字をもらい「阿部長商店」とした。

〇事業拡大の挑戦
 68年5月、資本金・500万円で㈱阿部長商店を設立、泰兒氏が代表取締役に就任。
 水産施設第1号となる気仙沼工場を気仙沼市川口町に建設したのは71年12月のこと。その後同工場の施設増強に取り組む。
 86年4月、阿部長商店石巻営業所を開設すると同時に渡冷を設立、阿部泰兒氏が代表取締役に就任し、冷蔵庫、製氷・貯氷施設を整備。
 また、87年3月には志津川町に進出、冷蔵庫、製氷・貯氷施設を建設する。

〇「全国秋刀魚サミット」を開催
 水産資源管理への取り組みとして忘れてはならないのは、95年7月28日、宮城県冷凍事業協会が主催、阿部泰兒氏が実行委員会会長となり開催した「第1回全国秋刀魚サミット」。全国から400人が参加した。阿部会長は「サンマ資源の温存と漁業の安定、消費の拡大を図るために、われわれは今何をなさねばならないかを話し合うために『秋刀魚サミット』を開催する」と開会を宣言する。

〇鮮カツオの「タンク取り」
 水揚げされる魚介類の鮮度保持にも取り組んだ。99年11月、泰兒氏は気仙沼漁協の専務理事に就任するが、当時、生鮮カツオは魚かごに約60キロ入れられて荷捌き場に並べられていた。阿部専務は、氷水の入ったタンクにどっぷり漬け、カツオを外気にさらさないようにするため「タンク取り」による鮮度保持の徹底を、と訴えた。
 しかし、従来の魚かごでの販売を主張する人たちと議論がかみ合わず、阿部会長は専務理事の椅子を懸けて説得、2003年4月、専務理事を退任する。その1か月後、同漁協は「カツオのタンク取り」を開始する。

〇会長に就任
 阿部長商店は21世紀に備えるための後継者が育ったとして、泰兒氏が会長となり、38歳の阿部泰浩社長体制がスタートしたのは、02年1月のこと。

〇40周年式典挙行
 その3か月後の4月10日、阿部長商店創業40周年記念式典が、南三陸ホテル観洋で挙行され、500人を超す関係者がお祝いに駆け付けた。阿部会長は「地域とともに歩む地元企業の一員として、信頼こそが企業の生命です」と式辞を述べている。
 なお南三陸ホテル観洋は、01年から温泉の掘削を始め、約2年がかりで温泉を掘り当て、「南三陸温泉」としてオープンする。
南三陸温泉(南三陸ホテル観洋 露天風呂写真)

〇「あぶりさんま」天皇杯を受賞
 03年11月に開催された第42回農林水産祭で、薄皮をはがさずに生感覚の風味が楽しめるとともに、塩焼きしたような抜群の香ばしさも味わえることが認められ、同社グループが開発した「あぶりさんま」が水産食品では最高位の天皇杯を受賞する。
 さらに、阿部会長に喜びが重なる。03年11月26日、長年にわたり水産物流通、衛生管理などに積極的に取り組み、水産業の振興に貢献したとして、大日本水産会の同年度水産功績者として表彰される。

〇南三陸水産加工事業協同組合発足
 04年3月、水産加工業の環境保全に力を入れるとともに、消費者ニーズに対応した加工技術を確立しようと、「南三陸水産加工事業協同組合」を設立、阿部会長が代表理事組合長に就任する。

〇旭日双光章受章
 日本冷凍事業協会副会長として、わが国の冷蔵倉倉庫業界の振興に大きく貢献した阿部泰兒会長は、04年11月、秋の叙勲で旭日双光章を受章する。
 同年12月7日、「阿部泰兒氏の旭日双光章受章を祝う会」が挙行され、阿部会長はこの式典で「今回の受章は、私を支えてくださった多くの方々のおかげです。この受章の喜びを糧として一層の精進を続けてまいります」とお礼の言葉を述べた。

〇別れ
 このように喜びが続いていた時、突然の不幸に見舞われる。阿部泰兒会長夫人で泰浩社長の母である康子さんが08年6月3日、入院加療中に死去、72歳だった。康子夫人は、優しさと細やかな心遣いで阿部会長を支え、阿部社長兄妹を育てた日本の典型的な妻であり母であった。

〇大船渡に進出
 その悲しみを乗り越え、09年3月、阿部長商店は、岩手県大船渡市に進出することを決める。大船渡港に隣接する北部工業用地(4.5ヘクタール)を一括取得、「大船渡食品」を設立。加工、冷凍・冷蔵保管の集約工場が10年10月に竣工、稼働した。

〇東日本大震災
 大船渡食品の完成などの事業を拡大してきた阿部長商店。だが、11年3月11日、東日本大震災が発生、大船渡から気仙沼、南三陸町、石巻の三陸の沿岸部の拠点施設が被災する。
震災翌日2011年3月12日撮影 大船渡食品

〇復興へ
 しかし、阿部会長はくじけてはいなかった。南三陸工場は、津波による被害はなかったことから、4月下旬には事業を再開した。さらに被災者を受け入れていた3つのホテルも、ライフラインが復旧したことから4月中に営業を再開する。
 サンフーズ気仙沼は津波にのみ込まれたが、6月からの生鮮カツオの水揚げに対応しようと復旧工事に取り掛かる。大船渡食品は秋のサンマの水揚げの受け入れ機能を回復させようと工事に着手。

〇南気仙沼水産加工事業協組設立
 大震災で壊滅的な被害を受けた気仙沼地区の水産流通・加工業。復興・復旧を迅速に進めたい、と12年7月12日、「南気仙沼水産加工事業協同組合」を設立した。総会で発起人代表のサンフーズ気仙沼の阿部泰兒社長が代表理事組合長に選出され、「南気仙沼地区の水産流通・加工業をできるだけ早く復興させる」と決意を述べた。
 同組合は14年、5000トン級の超低温冷蔵庫を建設した。引き続き、海水取水浄化・排水浄化施設の建設に着手、15年に完成させている。さらに、組合員の資材を保管する共同利用作業保管施設を建設した。

〇新工場を建設
 14年7月、阿部長商店の気仙沼地区の集約拠点となる「気仙沼食品」が竣工、稼働する。阿部会長は「完成した気仙沼食品は、気仙沼市の復興のシンボルとして、安全・安心な水産食品作りに邁進します」と決意を述べている。
 泰兒氏が社長を務める泰興商事が、未利用水産資源・加工残渣の有効活用を目指し建設した大船渡化成フィッシュミール工場は、15年3月から本格稼働、さらに、16年5月には「気仙沼フレッシュ」が竣工、生から冷凍まで幅広い食品作りを行う一大工場として操業を開始した。
 18年4月に泰興商事は、イスラム圏への販路開拓も視野に入れ、ハラル対応の魚肉ソーセージを生産するサンリクフーズを完成させる。泰兒社長は「国内、海外も含めた魚肉ソーセージの販路拡大と自然災害から保管物を守る施設を稼働することで、地域経済の振興に役立つものと確信している」とあいさつした。
気仙沼食品

気仙沼フレッシュ

サンリクフーズ

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~震災秘話~
 阿部会長は大震災から近隣住民を救った、という秘話がある。
 大震災が発生した時刻、阿部会長の3階建ての自宅の外のらせん階段を使って屋上に避難した近隣の住民。襲い来る大津波も屋上までは届かず、多くの人々が救われた。
 小雪がちらつく夜を迎え、阿部会長の指示で自宅3階の部屋から毛布や布団などを屋上に運び上げ、避難した人々は寒さをしのいだ。4日後、屋上に取り残されていた近隣の住民のうち、年配の人は自衛隊のヘリコプターに救助される。
 「外部から侵入される恐れがある」という反対を押し切って阿部会長は自宅に外階段を取り付けた。しかも、それが出来上がると、近所の人に集まってもらい、避難訓練までしたという。阿部会長の英断が、近隣住民を救った。

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職歴
1961年4月  阿部長商店設立、代表
1968年5月  ㈱阿部長商店に組織変更、代表取締役社長
1985年10月 石巻・㈱渡冷代表取締役社長
1987年4月  南三陸水産加工業協組設立
1988年4月  志津川湾観光汽船㈱代表取締役社長
1995年8月  ㈱タカノ鐵工代表取締役
2001年12月 ㈱阿部長商店取締役会長
2002年5月  ㈱サンフーズ気仙沼代表取締役社長
2010年2月  ㈱泰興商事代表取締役社長

団体等役職履歴
〇観光事業
1992年4月  志津川町観光協会理事
2006年4月  南三陸町観光協会理事
2001年5月  社団法人日本観光旅館連盟南東北支部理事
2005年5月  常任理事
2001年5月  社団法人日本観光旅館連盟南東北支部気仙沼連絡会会長
〇倉庫事業
1999年4月  社団法人日本冷蔵倉庫協会常任理事、東北冷蔵倉庫協会会長
2000年4月  宮城県冷蔵倉庫協会会長
〇水産事業
1983年4月  気仙沼製氷冷凍組合組合長
1984年5月  社団法人宮城労働基準協会気仙沼支部理事
1985年9月  仙台入国管理局管内外国人招聘協会会長
1992年5月  気仙沼保健所管内食品衛生組合連合会会長
1993年4月  宮城県冷凍商工業協組理事長
1993年4月  宮城県冷凍設備保安協会会長
1999年4月  東北地方冷凍事業協議会会長
1999年11月 気仙沼漁業協同組合専務理事
2001年4月  日本冷凍事業協会副会長
2001年6月  全国サンマ産地市場流通連絡協議会副会長
2001年8月  気仙沼魚市場買受人協会理事長
2002年4月  社団法人大日本水産会理事
2004年3月  南三陸水産加工事業協同組合代表理事組合長
2004年5月  社団法人宮城県食品衛生協会会長
2012年7月  南気仙沼水産加工事業協同組合代表理事組合長

功績表彰
1993年6月  志津川町長表彰(産業功労者)
1993年10月 日本冷凍事業協会長表彰(功労者)
1994年10月 社団法人日本食品衛生協会会長表彰(業界功労者)
1996年4月  社団法人日本冷蔵倉庫協会長表彰(功労者)
1996年4月  社団法人日本食品衛生協会会長表彰(食品衛生普及功績)
1997年10月 厚生大臣表彰(食品衛生工場功績)
1998年6月  気仙沼市長表彰(水産振興功績者)
2000年11月 宮城県知事表彰(産業振興功労者)
2001年7月  東北運輸局長表彰(海事功労者)
2002年7月  国土交通大臣表彰(海事功労者)
2003年10月 日本冷凍事業協会長表彰(業界功労者)
2003年10月 高圧ガス保安協会会長表彰(保安功労者)
2003年11月 社団法人大日本水産会会長表彰(水産功績者)
2004年11月 旭日双光章受章
2005年6月  社団法人宮城県観光連盟会長表彰(観光功労者)

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阿部泰兒会長社葬 ~全国から1500人参列、別れを告げる~
 阿部泰兒阿部長商店取締役会長の社葬は、菅原昭彦気仙沼商工会議所会頭が葬儀委員長となり6月3日、気仙沼市港町のサンマリン気仙沼ホテル観洋で行われた。伊藤裕康中央魚類会長、網野裕美大都魚類社長をはじめ北海道から四国、九州までの荷受代表や取引先、地元気仙沼市民ら1500人が参列、献花し別れを告げた。
 菅原葬儀委員長は「阿部会長は数々の困難を乗り越え大胆に事業を展開、業界・地域を超えた功績で旭日双光章を受章されました。晩年は視力を失いましたが、揺るぎない信念の言葉をいただきました。阿部会長のご遺志を受け継いでまいります」と式辞を述べた。
 引き続き弔辞がささげられた。
 以下、要旨。
▽菊田初男寶鏡寺総代護持会常任理事
 事業の発展に尽力し三陸屈指の企業として多くの功績を残した阿部会長を失い痛恨の極みです。
▽菅原茂気仙沼市長
 巨星落つ、の思いです。水産・観光業などで、本市のみならず地域経済の振興に尽くしてくださった。震災時には被災者に安らぎを与えていただいたことが忘れられず、哀惜の念に堪えません。
▽小野寺五典衆院議員
 裸一貫から事業を始め大きな企業に育て、震災後は地域で第一番に工場を再建し、勇気を与えてくれました。気仙沼の復興を見守りください。
▽齋藤徹夫JF気仙沼漁協代表理事組合長
 気仙沼の水産界にぽっかり穴が開いた思いです。漁業と水産加工業の一体的発展こそ大切、との熱い思いをうかがったことがあります。漁業生産、流通で重要な課題が山積する中、阿部会長を失い痛恨の極みです。
▽伊藤裕康中央魚類会長
 豊かな海の恵みがある三陸で行商から始め、水産事業は拡大の一途をたどり、観光業、倉庫業にも進出。サンマの洋上投棄問題の時には、キャンペーンを張り資源を守ることに尽力されました。
▽宝田和夫阿部長商店相談役従業員代表
 俳句を作り、指導してくれる人はいないか、と相談を受け、先生に見せると心に響く立派な俳句、との言葉をいただき喜んでいたことなど、阿部会長との思い出は尽きず、従業員一同ご冥福をお祈りいたします。
▽㈱阿部長商店社長 阿部泰浩
 父でもある阿部泰兒・阿部長商店創業者は、歌津町で水産物を売り歩くことから始め、その後気仙沼に移り水産流通業、冷蔵庫業、ホテル事業に参入しました。
 そして水産資源を守る訴えも続け、また、食品衛生向上にも力を入れ、それらの功績が認められ旭日双光章を受章することになりました。私の母の苦労に報いることができた、と話していたことを覚えています。
 震災後は視力が衰えましたが被災した施設の復興に力を注ぐなど、生涯を通じてものごとにぶれず大胆に行動しました。阿部長商店の礎を築いた父、阿部会長の遺志を受け継ぎ、皆さまのご支援に応えてまいります。



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